2008.04.11 (Fri)
遍路・・・続編

国道55線沿いからそれて室戸市吉良町の町並みを散策しながら歩きました 土佐漆喰を使った白壁を雨から守る水切り瓦や、暴風雨から守る為の石黒と呼ばれる石垣やら・・・明治~大正~昭和初期にみられた建物が手入れが行き届き残されていました
ここは平成9年に国の重要伝統的建造物群保存地区の選定を受けているそうです


なかなか風情があって時間がゆっくり流れていそうな雰囲気でした 我が家をつくる参考資料が沢山見えましたよ


郵便局に遭遇しました 屋根の瓦に郵便マークが入っていて、殿様のちょんまげみたいな・・・(笑) マーク入りで威張っているようにも見えるしちょっと可愛くて・・・めずらしかったです

【More・・・】
町並みを外れるとまたまた海岸段丘の坂を上り最終歩行終了地点の奈半利町加領郷まで18km歩きます 私の万歩計では15.71kmでしたが・・・・
丘の上では田んぼや畑が作られ、トマト・ナス・すいかなど高知特産のものが作られていました

道路沿いの山肌はびわの袋かけされた白や黄色の木が一面に花が咲いたように見えて美しい光景も・・・


歩行終了間際の港にはこんな網元の家が保存されていました 人は住まれてないようです 高知県に住みながら初めて見る吉良の町並み・・・癒されました
ほんと、風情があって素敵です。小さな島国ですが色々ですね~。
三枚目がそうですよ・・・
もしかして、もっと素敵に想像しておりましたでしょうか(笑) アップにしてみたらこんな感じです

お願いした漆喰壁の写真アングルは?(怒られますネ!)
しかし、最後の写真は”天下一品”盗作させていただきます。
「土佐刃物」は良く聞くが「漆喰」は始めてです。
勉強結果、後ほど報告します。わが町も湊町として栄え、漆喰の倉が多く残されており、近年漆喰壁に改造されたが、ほとんどクラック(ひび割れ)で文化財の価値無し
貴ご邸宅の「四国化成?」の漆喰を楽しみにしております。
「ナマコ壁」にしてみたら?(倉のイメージが強いですが)
さらに、内装はべんがら壁・外構はベンガラ塀、京都は先斗町の大石内蔵助の時代に遡ってみて下さい。
砂鉄のでない土佐になぜ「土佐は刃物か?」子どものときからの疑問であり、まだまだ「土佐の文化」を知りたいものです。
我が阪神タイガーズの町・安芸市
中世は安芸の国、土居城主・安芸国虎は長曽我部に敗れ自刃するが、長子・千寿丸を逃し、讃岐津田浦に落ち延び、津田の松原に隠れ住んだ。その子孫が志度は平賀源内のスポンサーであった豪商「津田板屋・安芸家」であると我が町の町史にに記されている。
ー国道筋で”國虎”の看板を見付け感動する。ー 土佐の歴史に忘れてかけている”國虎”
その話はまたの機会に!! 写真有難う、活用させて下さい。
しかし、最後の写真は”天下一品”盗作させていただきます。
「土佐刃物」は良く聞くが「漆喰」は始めてです。
勉強結果、後ほど報告します。わが町も湊町として栄え、漆喰の倉が多く残されており、近年漆喰壁に改造されたが、ほとんどクラック(ひび割れ)で文化財の価値無し

貴ご邸宅の「四国化成?」の漆喰を楽しみにしております。
「ナマコ壁」にしてみたら?(倉のイメージが強いですが)
さらに、内装はべんがら壁・外構はベンガラ塀、京都は先斗町の大石内蔵助の時代に遡ってみて下さい。
砂鉄のでない土佐になぜ「土佐は刃物か?」子どものときからの疑問であり、まだまだ「土佐の文化」を知りたいものです。
我が阪神タイガーズの町・安芸市
中世は安芸の国、土居城主・安芸国虎は長曽我部に敗れ自刃するが、長子・千寿丸を逃し、讃岐津田浦に落ち延び、津田の松原に隠れ住んだ。その子孫が志度は平賀源内のスポンサーであった豪商「津田板屋・安芸家」であると我が町の町史にに記されている。
ー国道筋で”國虎”の看板を見付け感動する。ー 土佐の歴史に忘れてかけている”國虎”
その話はまたの機会に!! 写真有難う、活用させて下さい。
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げらさんの北海道とは島でも比べものにならないですね 毎回思うのですが、自然を前にすると人間のちっちゃい感情なんて針の穴にも満たないようなもの・・・いつも心を新鮮にすることができます
機会があれば高知に遊びにきてください